
いつもありがとうございます♪
イカサですw
ぼくは2013年3月
今現在から
12年前電気連合
日立グループの会社から
早期退職をしましたw
今回の記事は2013年2月かな
たった2週間の短い期間
に早期退職を決断した
ときのことを
記事に書きましたw
告げられたのはたった2週間の猶予
2013年の春私は会社から
「早期退職」の打診を受けました。
その頃の私は自分の勤務先から
別の企業へ出向中という
少し特殊な立場にいました。
環境も人間関係も
すべてが“自分の会社”ではない
場所で過ごしていたのです。
そんな中で突然伝えられた
早期退職更に
「2週間以内に決めてください」
という言葉。
正直、心は揺れました。
いや、ぐらぐらに揺れたと
いうのが正直なところです。
たった2週間で自分の
これからを決めろと言われても
どうしていいかわからなかった。
しかも──そのとき
私たちの子供は生まれたばかり。
まだ0歳。

家族の未来はどうなるのか?
私の選択ひとつで
すべてが大きく変わって
しまうかもしれない。
「残るべきなのか?」
「飛び出すべきなのか?」
何度も自問自答しながら
時間だけが過ぎていきました。
⸻
恐れの奥にあった、わずかな希望

私は何度も迷いました。
「今の会社を離れることが
本当に正解なのか?」
「この年齢で新たな
挑戦ができるのか?」
「生まれたばかりの子供に
何を残せるのか?」
自分の内面と深く向き合う中で
最後に浮かび上がってきた
言葉がありました。
それは、
**「必ず良いことがある。
信じよう」**という
自分自身へのメッセージでした。
ただね、ほんと
怖かった。
とにかく怖かった。
なぜなら
「今いる場所に残ること」が
安全なようでさぁ……
早期退職ときの
面談で言われた
『キミはいらない』
本当に自分を活かせる場所ではないと
どこかで感じてしまったんです
未来は見えない。
でも、「信じて一歩を踏み出すこと」。
それが、今の自分にとって
最も誠実な選択だと思いました。
そして私は、早期退職を決断しました。
⸻
人生の節目はギフトだったと気づく日

退職してすぐは
不安もありました。
けれど、それ以上に
「心の中に灯った小さな光」を
私は信じていました。
あの決断から、
12年以上が経った今。
私は、家族と過ごす時間を
大切にしながら、
自分らしい言葉で生きる道を
歩んでいます。
SNSやブログ
リールで発信をはじめ
自分の経験や思いを
「誰かの背中を押す言葉」として
届けられるようになりました。
あのとき、自分を信じて
一歩を踏み出したこと。
それは、いま振り返っても
やはり「人生を変えた分岐点」
だったと確信しています。
そして今この記事を読んでいる
あなたがもし
何かを決断しようとしているなら
──伝えたい言葉があります。
「怖くてもいい。揺れてもいい。
でも、自分を信じてあげてください」
その一歩の先には、きっと
「あなたにしか見えない景色」が
待っているはずです。
まとめ

早期退職って聞くと
やっぱいやですね!
上司との面談で
『あなたはいらないんですよ!』
なんて、言われたら
これからの人生じんかくが
かわっちまうぜぇ〜
なんてねw
でも、ご安心ください。
『あなたはいらない』んですと
言われても
必ず必要として頂ける
企業様は必ずや見つかります!
あっ、ただし
自分1人でPCの前にいて
資料を作る。
断られても消して
めげないことwww
でもって、ハローワークさん
リクナビさん
マイナビさん
DODAさん
産業雇用安定センターさん
に必ず行くき検索をするw
当時1年間と2ヶ月
ぼくは実際100社ほど
応募
面接は10社ほど
でもって
内定は3〜5社
今と違うのはね
2013年当時は
製造の仕事は求人は0と
とある街のハローワークさん
も、あったよ
でね、ある求人は
サービス業
タクシーさんや
パチンコ店など!
2013年は
リクナビさん
マイナビさん
DODAさんも
製造だと求人は
間接員のみだった。
組立や機械加工などは
検索しても0だったよ‼️
でも今は安心してください。
ハローワークさん
リクナビさん
マイナビさん
DODAさん
他の紹介会社でも
沢山求人があるし
けいさいしてます!
早期退職すると、たった1人での
戦いが待ってます。
でも、やりぬいた人は
沢山います。
現にぼくがいるwww
是非、ご自身に負けないで!
必ずや再就職先はあります。
これは、当時ぼくがいわれた
言葉よw
再就職先は
『川の流れと同じ』
時期もあるし、タイミングもある
更に、日々検索してくれたら
必ずヒットするってね!!
イカサはいつでも
あなたを、応援してますwww
つづく
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